容器包装リサイクル20年のあゆみ-公益財団法人日本容器包装リサイクル協会
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32 中国の経済活況に伴い、平成12年頃から使用済みPETボトルの香港・中国など海外への輸出が顕著になりました。それにより使用済みPETボトルの有償化が始まり、市町村では容リ協以外のルート(独自処理)への方向転換が加速しました。 平成17年度には、指定PETボトルの生産量は前年比3.7%増、市町村の分別収集実績量は25.2万トンと前年比5.7%増となっていましたが、容リ協の引取実績量は17万トン(前年比88%)で、初めての減少となる一方、市町村の独自処理量は8.2万トン(前年比177%)と大きく増加しました。 それまでの再生処理能力不足から物不足へ一転。輸出増・処理能力余剰といった事態を受けて、容リ協ルートの落札価格(逆有償)も年々低下を続けていましたが、ここで一挙に加速しました。そしてついに平成18年度、有償入札(再生処理事業者が容リ協に料金を支払う)時代に突入しました。引取実績量14万トン、落札単価は△17,300円/トンで、有償分から約21億4,000万円が各市町村に拠出されました。以降、今日まで有償入札が続いています。 容リ協は、平成21年から、再商品化に影響のある事業系を主とする再生PETボトルフレークの海外輸出先として大きな量を占めている中国での輸入状況、利用状況を把握するため、現地調査を実施しています。Topics1再商品化事業の開始Topics2激動する変化への対応Topics■ 落札価格の有償化 平成9年、容リ法の本格施行に伴い、PETボトル(清涼飲料、酒類、しょうゆなど)の再商品化事業が始まりました。振り返ってみると、PETボトルは、ガラスびんや紙容器などに比べて新しく開発された容器で、昭和42(1967)年頃に米国デュポン社が基礎技術を確立し、初めて容器として炭酸飲料用に採用されたのは7年後のことでした。日本では、昭和52年にしょうゆ500mlの容器として導入されたのを皮切りに、食品衛生法が改正された昭和57年に清涼飲料用、昭和60年からはお酒(焼酎)用に使われるようになりました。 日本で好まれる飲料が、炭酸飲料やミネラルウォーター、緑茶飲料と変化していく中、消費者の要望を受けて平成8年に清涼飲料業界は、それまで自主規制していた小型(500ml以下)PETボトルの使用禁止を解除、その利便性からPETボトルは急激に普及していきます。 一方で、当時はびんや缶などと比べてリサイクル率が非常に低いことが問題となっており、リサイクル・システムの構築が模索されていました。平成5年、PETボトルが再資源化法第2種指定製品に指定されるとともに、PETボトルの製造メーカーと中身メーカーが一緒になってPETボトルリサイクル推進協議会を設立し、平成7年に同協議会は全国に8つのリサイクル工場を設立すると発表。容リ協におけるPETボトルの再商品化事業は平成9年4月にスタートしました。しかし、当時のPETボトルの回収率は僅かに9.8%という状況でした。■ 再商品化事業スタート■ 急増したPETボトルリサイクル  ~ミスマッチ状態への対応~PETボトル事業部中国での現地調査 容リ協の市町村からの引取量は、事業開始の平成9年度1.4万トンから平成11年度は5.6万トンと、3年間で約4倍にまで急増。引取量が国内の再生処理能力を大幅に上回り、いわゆるミスマッチ状態に陥る事態となりました。平成11年の秋から冬にかけて、再生処理事業者の処理が間に合わないとして100か所余りの保管施設で、受取拒否が発生しました。当時、さまざまなメディアで大量のベールが積み上げられた状況が報道され、リサイクル・システム自体の問題だと指摘され、世間の注目も集めましたが、容リ協はPETボトルリサイクル関連業界とともに対応し、年度内には受入れ体制が整いリサイクルすることができました。また、そのような事態を受け、国や関係団体において、再商品化能力を増強するためのさまざまな取り組みが実施されました。

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